2006/03/25

超難解な文章

ハイデガー著『存在と時間 上』(岩波文庫 訳:桑木 務)より

序説 存在の意味への問いの究明

第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位

第一節 存在への問いを、はっきりと繰り返すことの必要

「形而上学」を再び肯定することが、
現代の進歩のしるしだと考えられているにもかかわらず、
右の存在への問いは、いま、忘れさられています。

※形而上学とは(wikiより)
形而上学(けいじじょうがく。独:Metaphysik, 英:Metaphysics)は哲学の一部門であり、物理学や心理学や脳の生物学といった自然諸科学に、あるいはまた神秘主義や宗教や精神的主題 (spiritual subjects) に関係付けられる。非哲学者への紹介のために形而上学を定義することは、非常に困難(notoriously)であるが、存在、実在、普遍、属性、関係、因果性、空間、時間、出来事……その他諸々の、他の諸概念が、まさにそれに基づくところの現実性の基礎的本性 (the basic nature of reality) に関する、最も根本的な概念や信念の研究として定められる。

形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者によって、西洋の哲学者たちが最初にその名を受け取って以来、変化してきた非常に多くの領野の内にある。根源的に形而上学的と考えられなかった問題が、次々に形而上学に加えられてきた。何世紀にも渡って形而上学的と考えられていた他の問題は、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学といった、その独特の分離した副次的主題(subheadings)へと追いやられている。形而上学の部分と、ある時代または別の時代に、考えられてきた全ての問題について考察するには、非常に長い時間が要求されるだろう。

核心的な形而上学的問題と呼ばれうるものは、常に形而上学的と考えられてきた、そして、形而上学的でないと考えられたことがない問題である。そのような問題はたいてい、一般に存在論の問題、「存在としての (qua) 存在の学」である。

別の哲学的伝統は、西洋の哲学的伝統におけるそれよりも、形而上学的問題の非常に困難な概念を持っている。例えば、道教、そして実際多くの東洋哲学はアリストテレス形而上学の最も基礎的な教義のいくつかを、完全に拒んでいる。今では、西洋哲学においてはもはやほとんど完全に内面化し、疑いの対象になることはほとんどないが、しかしヘーゲルの論理学 (Science of Logic) のように、アリストテレス形而上学の多くの反対者は西洋にも現れた。


すでに、この本を買ってから、4ヶ月たちましたが、一番最初の文章でつまづいています^^;







誰か、解説してくださーい^^;

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